虐待と犯罪、回復と死刑について、考えてみたかったので本を読む
地下鉄サリン事件のこと。
事件についてと、今回、刑が執行された(されてしまった)、松本智津夫さんについて書きたい。他人事とは思えないから。
他の方々も気になりはするけれど、私は、彼にシンパシーを感じてしまう。
この事件が起こったとき、私はまだ物心もついていない子どもだった。
けれど、不思議な縁が少しあって、今に至るまでずっと、身近に感じてきた事件でもある。
弟が交通事故で、聖路加病院のICUに入ったりとか。
私が大学で、宗教学を選んだりとか。
松本智津夫さんが、虐待のサバイバーだったりとか。
………
私は基本的に、死刑というものは、あまりに雑な制度だと思っている。
犯罪者な死ねばいい、って、誰の気持ちなんだろうか。
死んだら、罪は償えないのに。
死刑を執行するってことは、死刑囚を殺す役割の人がいる、ということだ。
悪いこともしていないのに、殺人を強制される人がいるということだ。
そんな犠牲を払ってまで、執行するべきものなんだろうか。
犯罪者のために。
それだったら、一生刑務所で、労働力として使った方がいい気がするんだけどなぁ。
そして、出来ることなら自分の罪に向き合って、反省できる日が来るといい。
罪に向き合うって、たぶん、死ぬより苦しいから。
自分のやったことから逃げて、精神崩壊して死にました、なんて。
なんてズルいんだろう。と、私は思う。
死にたいのに死ねない、という状況を作る方が、ずっと残酷だと思うんだ。
…………
罪は罪だ。
どんな理由があったって。
ただ、松本智津夫さんの、彼の生い立ちは、知っていても良い気がする。
彼は、親に捨てられた子だ。
もう誰にも捨てられたくない。
誰かに助けて欲しい。
世の中が許せない。
仕返しをしたい。
そんな気持ちは、なんとなくわかる気がしてしまう。
実際はどうなのか、計り知れないけれど。
気持ちはあっても、事件を起こすかは、また別だし。
でも、彼を助けられなかった社会の責任として、そして、彼への厳罰として、
出来る限り、更生の手助けをするべきだったんじゃなかろうか。
そんな気がしてしまう。
そんなことを義母に話していたら、本を貸してくれた。
原田正治「弟を殺した彼と、僕」
なんだか、すごい本らしい。
著者がとにかく、すごいと。
まだほとんど読み進めてないけど、マイペースに読んでいきたい。