いちょう2'nd (いちょうせかんど)

国際派(?)メンヘラの脳内。平和で平凡な日常を目指します。

あなたと私は違う、という素晴らしさ


f:id:coica:20171109184355j:image

(画像はとてもお気に入りなのですが、どこから流れてきたのかわからないので、ご存知の方いらっしゃいましたら御一報ください。また、問題があれば削除いたします。)

 

 今回とても長いです。
私の価値観と、その転機について。
そこに至るまでの生い立ちを混ぜつつ、書いていきます。

もくじ:

みんな違って、みんないい……はずだった。

小学生のころ、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」を、みんなで朗読しました。


せっかくなので、全文引用します。

 わたしと小鳥と鈴と

わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥はわたしのように  地べたを早くは走れない

 

わたしが体をゆすっても きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように たくさんな歌は知らないよ

 

鈴と小鳥と それからわたし みんな違って みんないい

 

www.youtube.com

 この動画もかわいい……。

 

小さなころから知っていた歌にもかかわらず、
私がこの歌詞の意味をようやく理解できたのは、十代後半とか二十代とか、そこそこ大人になってからだったと思います。

 

「みんなちがってみんないい」

すでに浸透しすぎて、ありきたりな言葉にも思えます。

 

でも、
クラスでは目立つと陰口を叩かれるし、
流行のTVについて話せないと浮いてしまう。

大人になっても、
学歴がなかったり、
外国人だったり、
発達障害だったり。


世の中では色々なことを理由にして、眉をひそめられることがあります。

 

「みんなちがってみんないい」、
そんなこと、わかりきっていることのはずなのに。
ふとした日常の中では、すぐに忘れ去られてしまう。だからこそ、ずっと唱え続けられているのかもしれません。

 

おれときみは、違うからなあ

私にはいちおう夫がいるのですが、彼がいなければ、いま私が健常な(障害者だけど)生活を送れていたか、自信がありません。

彼との間にも色々ありましたが……。

 

その彼と永らく付き合うことになったきっかけが、見出しの言葉でした。

「おれとめいちゃんは、違うからね」

けっこう、そう言われる度に傷付いていました。克服したのも、ごく最近です。

そして同時に、この言葉は私にとっての救いでもありました。

 

「違う」と言われる度、彼との差を感じ、落ち込みました。
「価値観が違う」「育ってきた環境が違う」「趣味や好みが違う」。
それらは、彼と私との溝を突き付けられるようで、
「おまえは間違っている」と言われているようで、
ほんとうに、不安で仕方がなかった。

ただ、彼にとっては違いました。

彼にとっての「違う」ということは、
「新しい価値観を学べる」「新しい視野を手に入れられる」、そして「新しい楽しみを知ることができる」、
そんな素敵な意味だったのです。

「おれときみは違うね。
いっしょにいるだけで、お互いに色々なことを学べるね!

初めて会って、なんとなくたくさん話すことになって。
そして彼が放ったこのひとことに、それはもう、私はやられてしまったのです。

 

「違うって、悪いことじゃないんだ……」
目からウロコが落ちた瞬間でした。音を立てて、ぽろりと。

 

「人の気持ちがわからないなんて、あなたはおかしい」

 世の中って誰が何を考えているかわからなくて、それだけで恐ろしいものですが、
それを更に増幅させるような環境が、私の家庭内でした。

家庭内といっても、母子家庭だったので、母とふたりきりの家庭です。

でも、高校に入りアルバイトやら何やらで外に出るようになるまで、
こどもの私にとっては、学校と、このふたりきり家庭の2か所だけが、私の世界のすべてでした。

母の離婚に合わせて、学校は3回ほど転校しました。
学校の友だちは優しいようで、時々、とても怖かった。

 

みんなが「おままごとをしよう」と言ったら、嫌でもしなくちゃいけない。
親が離婚してたら、「かわいそうな子」のキャラにならなきゃいけない。
先生やほかの友だちの悪口を言わなきゃいけない。
休み時間、ひとりだけ絵を描いてたら「変な子」、
学級会議で自分の意見を言ったら「目立ちたがり屋」、
男の子と遊んでたら「ぶりっ子」……。。

私はいつも、浮いている子でした。

母は、私を褒めてくれました。
「個性的」「あなたは特別」「『正しいこと』をしたね」。

離婚して以来、母はうつ病で、ずっと寝床で臥せっていました。
小さいころの記憶は、母が布団で寝ているところばかり。

母を元気にしたかったから、私はずっと、「特別な子」でした。
私だけが「正しい」。私はいい子。他の子はダメな子。


だけど、学校へ行くと、みんなと仲良くしなさいと言われて。
でも、「正しいこと」をしていると、誰とも仲良くできなくて。
学校がとても怖くなりました。

そして、家に帰るのも怖かった。
運が良ければ、お母さんは褒めてくれる。でも、そんなのは本当に「運が良い」ときだけ。
うつの母は、いつも何かを嘆いていました。
「お金がない」「生活が苦しい」「みんな心が冷たい」、
「私は悪くないのに」「なんで私ばっかり」「なんで私ばっかり」「なんで私ばっかり」………。


そして、私の返答が良くないと、
「あなたは人の気持ちがわからない」
泣きながら、そう言われるのです。

 

「人の気持ちがわからないなんて、あなたはおかしい」、
いつしか私はそう言われるようになって、私自身も、母の嘆きの一部になりました。
お母さんを、助けたかったのに。

 

違うことは悪いこと

私のせいで、お母さんはいつもつらい目にあっている。 
私が「おかしい」から、私が「違う」から、だから私は悪い子なんだ。


そんな気持ちはいつも心の底にあって、段々と学校にも行けなくなりました。
「おかしい子」じゃなくて、「特別な子」にならなきゃ。
そう思って努力していたのですが、学校ではそれは、通じませんでした。
「特別」はとても難しくて、
最初のうちは演じることができても、ちょっとしたボロが出たらすぐ、「おかしい子」になってしまう。
それが怖くて、演じるのにも疲れてしまって。

 

家庭内では、私はずっと、「特別な子」でした。
お母さんの意見をひたすら尊重する。
本をたくさん読んで、料理も掃除もできて、お母さんの看病をして。
私はお母さんの娘なんだから、お母さんは病気で大変なんだから、私はいつでも、お母さんの味方じゃなきゃ。
お母さんの理想通り、お母さんと同じ考え、それが「特別な子」の条件でした。

 

でも、やっぱり学校には行けなかった。
だから私は、しょっちゅう「おかしい子」であると、責められるのでした。

 

学校でもみんなと違う。
家でもお母さんの理想とは違う。

 

違うから、「おかしい子」。
違うから、「悪い子」。
だから、違うことはとても悪いことなのだと思っていました。

 

私ルールからの解放

 一番大きな転機は、夫との出会いであり、先述の夫の言葉です。
「違うことは楽しい」

いちばん大きなショックをもって、私に響いた出来事でした。
これは最早、事件です。

 

違うことは悪くない。
違うことは楽しいこと。素敵なこと。とても、いいこと。

でも、私を苦しさから解放してくれたのは、夫だけではありません。


高校時代、国語の先生が、

「きみとお母さんは違う人間なんだよ!」と必死で伝えてくれました。

美術館で学生ボランティアをしていたときには、

馴染めない、浮いた私を、色んな大人がそのまま受け容れてくれました。

はじめてアルバイトをして、働いていると、
「君がいるから助かる」と、言ってもらえました。

 

こうした出会いが、ちょっとずつ、「私」としての自信を培ってくれたのだと思います。
お母さんと同じじゃなくてもいい。

「私」を必要としてくれる人がいる。
「私」を受け容れてくれる場所がある。

それが、どれだけきらめいて感じられたことか。

 

当時は、本もたくさん読んでいました。
吉本ばななさんの小説では、ちょっと変わっているけど、自信をもって生きている登場人物が、活き活きと描かれていて。
梨木香歩さんのエッセイを読むと、特別じゃなくてもいい、小さなくらしの積み重ねや、大切な人との交流が、どれだけ貴重なことか、胸に迫ってきました。

 

変わっててもいい。でも、特別じゃなくてもいい。
私は、私のままで、いいのかもしれない。

 

こうした色々な出来事が、少しづつ、少しづつ、
でも確実に積み重なって、夫の言葉につながったのだと思います。

 

「特別な子」「お母さんの理想の子」という、私の価値観が、
あまりに強固だったら、きっと夫の言葉も届いてはいなかった。
きっと、 それまでの価値観や、価値観に沿うための私ルールが、
徐々に崩れ始めていたからこそ、起こった事件だったのです。

 

一度根付いた価値観は、なかなか一新することはできません。
いまだに私は苦しいし、挫折だって繰り返しています。

 

ただ、「生きていて楽しい」って思う瞬間は、以前よりずっと増えました。

 

ひたすらつらかった幼少期や、苦しくて苦しくてたまらなかった学生時代を思い出すと、気持ちが落ち込むこともあります。
あの頃の自分に会って、助けられたら、と思うこともあります。
もっと幸せな人生だったら、と何度も考えました。

けれど、あの頃の私が頑張ってくれたから、私が今、ここにいるのだと思います。

誰の言うことも無視していたら、もっとずっと、苦しいままだった。

どこかで諦めていたら、私は存在すら許されなかったかもしれない。

前進しようと、もがき続けたから、ここまでやってこれた。

 

だったら、今の私にできるのは、
過去に恥じないよう、誰でもない「私」として、生きることだと、そう思うのです。

 

ぜんぜん違う夫と。ぜんぜん違う友人と。
その時々に出会う、ぜんぜん違って、そして、とっても魅力的な人たちと。

大切な人たちを、大切にしながら、私なりに生きていけたら、と切に感じます。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ちなみに文中で登場した私の好きな作家さん方

よしもとばなな 

海のふた (中公文庫)

海のふた (中公文庫)

 

ぜんぜん違うタイプの2人の女の子(たぶん成人)がひと夏を過ごすお話。

 

梨木香歩

春になったら苺を摘みに (新潮文庫)

春になったら苺を摘みに (新潮文庫)

 

西の魔女が死んだ」の梨木果歩さんのエッセイ。彼女の思考をのぞき見できる気がする。「理解はできないけど受け容れる」、という、まるで香歩さんの太陽みたいな、ウェスト夫人との日々とか。

 

 

 

 

お題「マイルール」