いちょう2'nd (いちょうせかんど)

国際派(?)メンヘラの脳内。平和で平凡な日常を目指します。

友達との約束は、仕事よりも怖い

そもそも予定というものに弱くて、仕事とか約束があると、とても緊張してしまう。

でも今回、家族との話し合いや、主治医との話で、ちょっとした法則がわかってきた。

 

やっぱりというか、「失敗」がとても怖いらしい。怒られる気がして。

だから、これ以上ないくらいに念入りに念入りに準備して、準備しすぎて疲れてバタンキュー、というのがよくあるパターン。

 

仕事や約束が嫌な訳では無い。

むしろ、働くのも出かけるのも好きで、楽しみにしている。

 

でも、楽しみにすればするほど、失敗が怖くなる。

つまり、準備段階の負荷も重くなり、「失敗」の確率も高くなってしまう。

 

「失敗」を避けようとすればするほど、「失敗」の確率が高くなるって、なんなんだ。

理不尽すぎる。

 

そんなわけで、仕事は比較的、行けることが多い。

「お金のため」「仕事だから」というところで、折り合いをつけられればいいから。

 

とはいっても、ダメな時はダメだけど。

疲れてたり、体調不良だったりすると不安が高まって、やっぱりバタンキューしてしまう。

 

友だちの約束は、もっとずっと難易度が高い。

「時間に遅れたらどうしよう」から始まり、「具合が悪くなったらどうしよう」、「変なこと言ってしまったらどうしよう」等々、不安は尽きない。

 

めっちゃ緊張する。動悸もする。

だって「失敗」は、イコール「友だちを失う」ことだから。

ただでさえ、ごくごく少ない友だちを、また失うことになってしまうから。

 

それらの不安を紛らわすため、さらに頑張って準備をする。

そして案の定、「失敗」する。バタンキュー。

 

「おらこんな村いやだァ」、と呟きたくもなっちゃうよ。

 

 

怖いものを増やすのはやめよう。

そうは思うものの、なかなか諦められるものではない。

 

やっぱり友だちと遊びに行きたいし、

働いてほめられたい。

 

どちらも、ごく真っ当な欲求だと思う。

ただ、今の段階では、急に色々とやるのは無理なんだと思う。

 

少しずつ諦めて、「自分のできる範囲」を見つけて行けるといい。

あわよくば、その範囲を広げつつ。

 

なかなかそう思えないことも多いけれど、忘れないようにしたい。

 

 

お父さんとお母さんと、友だちと仕事と

時間を守れないのも、

約束に行けないのも、

人との距離感がわからないのも、

ぜんぶ、私が望んだことじゃない。

 

いつもいつも、やってしまったと思う度、死ぬほど悶え苦しんでいる。

 

たくさん遊びたかった。

すごく楽しみにしてた。

嫌われたくなんてなかった。

 

どうしていつもいつも、こんなに上手くいかないんだろう。

疎外感を感じる。もう仲間ハズレは御免なのに。

 

約束は怖い。

楽しみにして張り切ると、緊張して動けなくなる。

遅刻するかもと焦ると、怖くて外に出られなくなる。

人との距離感は、とてつもなく難しい。

今まで人間関係なんて、構築できた試しがないから。

 

本当は、学校にも行きたかった。

でも、学校に行ってる間に、お母さんが手首を切っていないかとハラハラしていた。

家に帰ると、父がまた、いなくなるんじゃないかと、不安が憑きまとっていた。

 

父の気を引いて、母の看病をして。

でも、父はギャンブルをやめないし、

母はブランド品とスピリチュアルにのめり込む。

 

大切な弟まで、巻き込みたくはなかった。

家の家事をして、家計のために節約して、

値引きのうどんを買い貯めて、服も学用品も我慢して。

家の中は、不安と緊張と、家族それぞれの苛立ちでいっぱいだった。

 

そんな自宅で疲れきっているのに、

学校でもキャラクターを演じきる体力なんて無かった。

行きたかったけど、みんなと遊びたかったけど、いつも長期休暇後は身体が動かなかった。

 

学校に行かないから、友だちもできない。

家族が病気だから、社会のルールもわからない。

 

そんな感じで二十ウン年、

人間関係の築き方なんて、わかるはずもない。

 

こんなに寂しいのに。

 

思春期になって、恋人ができた。

母が認めてくれなくて、いつも目を盗んで会いに行った。

罪悪感でいっぱいだった。

 

恋人も、父のように消えてしまうんじゃないかと不安だった。

捨てられるならいっそ、と思って別れを切り出した。

 

大人になって、働いて、認められたようで嬉しかった。

仕事を覚えれば褒められるし、働いた分だけお金が貰える。

嬉しくて嬉しくて、一生懸命働いた。楽しかった。

 

でも、働いたらその分、疲労が蓄積して行く。

上司が変わって、怒鳴り声を聞いた時、パニックを起こした。

心身が限界だった。

弱った私に、これまでの記憶たちが、どっと押し寄せてきたから。

 

身体と頭が覚えている、大量の記憶に襲われて、わたしが悲鳴をあげていた。

朝晩、毎日のように泣き叫ぶような日々で、仕事になんか通えるはずが無かった。

 

欲しいものが、ぜんぶ零れていく。

 

逃げ出さないお父さんが欲しかった。

抱きしめてくれるお母さんが欲しかった。

一緒に遊べる友だちが欲しかった。

続けられる仕事が欲しかった。

 

そんなに、そんなに、難しい要求なんだろうか。

 

グルグルと頭を巡っている。


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虐待と犯罪、回復と死刑について、考えてみたかったので本を読む

地下鉄サリン事件のこと。

事件についてと、今回、刑が執行された(されてしまった)、松本智津夫さんについて書きたい。他人事とは思えないから。

他の方々も気になりはするけれど、私は、彼にシンパシーを感じてしまう。

 

この事件が起こったとき、私はまだ物心もついていない子どもだった。

けれど、不思議な縁が少しあって、今に至るまでずっと、身近に感じてきた事件でもある。

 

 弟が交通事故で、聖路加病院のICUに入ったりとか。

私が大学で、宗教学を選んだりとか。

松本智津夫さんが、虐待のサバイバーだったりとか。

 

………

私は基本的に、死刑というものは、あまりに雑な制度だと思っている。

犯罪者な死ねばいい、って、誰の気持ちなんだろうか。

死んだら、罪は償えないのに。

 

死刑を執行するってことは、死刑囚を殺す役割の人がいる、ということだ。

悪いこともしていないのに、殺人を強制される人がいるということだ。

 

そんな犠牲を払ってまで、執行するべきものなんだろうか。

犯罪者のために。

 

それだったら、一生刑務所で、労働力として使った方がいい気がするんだけどなぁ。

 

そして、出来ることなら自分の罪に向き合って、反省できる日が来るといい。

罪に向き合うって、たぶん、死ぬより苦しいから。

 

自分のやったことから逃げて、精神崩壊して死にました、なんて。

なんてズルいんだろう。と、私は思う。

 

死にたいのに死ねない、という状況を作る方が、ずっと残酷だと思うんだ。

…………

 

罪は罪だ。

どんな理由があったって。

 

ただ、松本智津夫さんの、彼の生い立ちは、知っていても良い気がする。

彼は、親に捨てられた子だ。

 

もう誰にも捨てられたくない。

誰かに助けて欲しい。

世の中が許せない。

仕返しをしたい。

 

そんな気持ちは、なんとなくわかる気がしてしまう。

実際はどうなのか、計り知れないけれど。

気持ちはあっても、事件を起こすかは、また別だし。

 

でも、彼を助けられなかった社会の責任として、そして、彼への厳罰として、

出来る限り、更生の手助けをするべきだったんじゃなかろうか。

そんな気がしてしまう。

 

そんなことを義母に話していたら、本を貸してくれた。


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原田正治「弟を殺した彼と、僕」

 

弟を殺した彼と、僕。

弟を殺した彼と、僕。

 

 なんだか、すごい本らしい。

著者がとにかく、すごいと。

 

まだほとんど読み進めてないけど、マイペースに読んでいきたい。

 

 

遊びも、学びも、お金がかかる。

タイトル書いてて気づいたけど、そもそも学びも遊びなんだよね。

どっちも仲間だから、そりゃリスクも似てるわなぁ。

 

最近、ちょっとしたインストラクター資格が欲しくて、講座を探したり受講したりしています。

身体のこと、もっとしっかり学びたくて。で、私はできる仕事が限られてるので(誰だってそうか……。)、

きちんと技術を身につけて、生業にしたくて。

 

とはいうものの、やっぱりお金はかかる。必要なことだとわかっているのだけれど。

 

学校だって、高校以降は学費がかかるし。

義務教育だとしても、税金でみんながお金出し合って成立してるんだものね。

 

あっでも、みんなにメリットがあれば、学費って出してもらえることもある、のか……?

義務教育は基礎教養高いと国民のレベル底上げできるからだし、

国公立の高校/高等専門に商工業が多いのは専門職に直結するからだし、

(それ以外だと大概そこそこ偏差値高い気がするし、)

就職すると必要な研修を受講させてもらえることもあるし………。

最近は、介護保育の補助金もすっごい増えてるもんなあ。

 

どこかでその必要性を認められれば、オール自分負担とは限らないのか。

ちょっと考えてみよう……!

 

 

で、純粋な遊びは純粋な遊びとして、お金がかかる。

(たまにそうとは限らないかもだけど。どちらかにメリットがあれば……。笑)

 

でもさ、学びは実益だけどさ、遊びだって実益だと思うんだよね。

楽しかった!って経験があると、すごい世界が広がるもの。

気持ちも一新できるし。

 

気持ちを詰め込みすぎて、余裕が無くなると、病気になっちゃうからねー。

 

一新することに夢中だと、それはそれで微妙な気もするけど。

からっぽな感じで。そもそも遊ぶのも疲れはするし。

 

だから、週休二日って、そーゆーことだと思うんだ。

一日遊んで、一日休んで、それで次の1週間を元気に過ごせる。

 

このところ、ちょっとバタバタしてるから、思い切り、遊び!って感じでどっか行きたいんだよなあ。

 

学びと、遊びと、休みと、この3つはとても大切。

当然のことなんだけどさ。

 

ううむだがしかし、お金が……お金が………。。

休みを確保しつつ、遊んで学ぶにはどうすれば………。

何か方法を考えねば。

 

 

上記の「誰かにメリットがあれば出資してもらえるかも云々」のくだりを書きながら気づいたので、

その勢いでフィットネスインストラクターの求人に申し込みました。

通るといいな!

そしたら学びとお金が一気に手に届きやすくなるぞ!わーい\(^o^)/

 

走るより踊りたい

どんな形にせよ、身体を動かすのは私にとって、ものすごーく大切なことだと実感しています。

だって運動不足だとダルくなるし、頭痛くなるし……。

体調不良だとメンタル病むし……。。

 

なので、ヨガやらランやらZUMBAやら、色々と試してはいます。

ピラティスはやってみたかったけど、機会がなかったなあ。

 

そしてダンスゲーム。

いちばんひどい時期、ひたすらDDR(=DanceDanceRevolution通称ダンレボ)をして過ごしてました。

ゲームしてれば、何も考えなくて済むし。

 

ヨガもランも好きだけど、頭の中に隙間が出来るから……ほんとにしんどい時は、中々難しくて。

 

走りたい気持ちはあるけど、なかなか出来ていない……。元気があると忙しくなるから、結局出来ないんだよなぁ……。

 


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でも、やりたい気持ちがあるからアプリが消せていない。ナイキランニング、好きです。

 

DDRは今でも続けてて、私にとって最も大切なことのひとつだと、確固として信じています。

が、この頃は裾野?が広がりつつありまして。

 

ダンスゲーム、DDR以外にも色々ありますが、

DanceEvolutionとか、Dancerush stardomとか、

どちらもやるようになりました。

 

あと、ZUMBAやるようになったのも、DDRと似てる……!って思ったからだったりする。

あの、ハイテンションな曲で、ガッと身体動かす感じ。

 

で、負荷の重い運動ばかりだと体に負担がある気がして、ヨガをやったり。

 

ダンスを習い始めようとしてたり。

 

…………結局、音楽に合わせて身体動かすのが好きなんだな。

というか、ダンスやりたいんだなぁ、私。

 

色々と大切なこと、やりたいことがあって、よきことです。

雑記……依存性についてとか、頑張ってることとか。

昨日だったか、依存性について、なっがーーーーいツイートをしてしまった。

あんなん呟くなら、ブログのほうに投稿すればいいのに……その方が読みやすいのに………と、思うのだけれど、なかなか習慣付かない。

 

だってさ、Twitter依存気味かな?と思ってアプリをアンストしたんですよ。

だから今、ブラウザ通して見るしかないわけで。

なのに何故か、ブラウザで長文ツイートをしてるわけで。。

 

なんて手間だ。

またインストールしようかな。

(でもインストール時間かかるしめんどい。)

 

話は変わって、最近の私はとても頑張っています。

この、「頑張ってる感覚」を、きちんと腑に落とすのも難しいんだけど。

「もうちょっと出来るんじゃ……。」って思うから。

この、「もうちょっと」を諌めて、「頑張ってる!」って言い切っちゃうのも、頑張りのうちだよね。

 

ずっとあたためてた当事者研究は、ぼちぼち開催してたりするので、

次は身体とメンタルヘルスをテーマにした、何かしらの会を開催したい。

小さなイベント的な感じで。

 

あと、パートタイムも始めたので、そちらも引き続き取り組んでいく所存です。

明日こそは、書類整理しないと……。

 

あとはあとはー、寝なきゃ。

もう遅いから。

水分採って、しっかり眠ろう。

関心のある分野と、読み始める本たち

しばらくぶりですが、元気です。

というか、かなり元気。落ち込みも激減しました。

あと、バイトも始めました。働くのって、楽しいね。

 

ちょっと情報に飢えている感じがしたので、本を読もうと思っているところです。

情報飢餓になるとSNS依存っぽくなっちゃうんだけど、SNSの情報は消耗品だから、すぐおなかがすいちゃうんだよね。

腹持ちの良い情報をいれなきゃ。


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とりあえず我が家の図書室(義母の部屋)から借りてきた。

 

最近は身体のことをやりたいと思っています。

だから、身体論とかダンスとかフィットネスに取り組んでるんだけど

(ZUMBAのイントラも取ってしまった。技術はまだまだ、だけど。。)、

もうひとつ、気になるのが性教育のこと。

 

ずっとやりたいと思っていたから、本格的に勉強して行きたいと思う。

性教育だって結局、身体のことだ。

きちんと、色々なアプローチから、「自分の身体を守る方法」を学んでいこう、と思っています。

 

NPOのピルコンにも、参加してみたいなーあ。

 

その他の本は、私の個人的な趣味です。

宗教と言語のこと♡

どちらもやっぱり、たのしーい♡

 

お金稼いで貯めて、新しいケルトの本も買いたいなぁ!